新 三国志 陣形。 おすすめ編成|新三国志攻略ブログ@ゼロ

幻の必殺陣形・八卦の陣とは?三国志演義と諸葛亮孔明の八陣図

新 三国志 陣形

比較にあたっての前提条件など 条件一覧 ・兵器の強化レベルは+22 ・検証に当たって乱数(同士討ちなどのランダム要素)をなくしたいため、使用計略は一気呵成+上兵謀伐に固定 ・検証に使用する武将の装備・役職は何もないようにする(装備による性能差が出ないようにするため) 比較に使用した武将 夏侯惇 呂蒙 耐久武将1人+戦鼓or盾車 1人(格上相手)の場合は戦鼓のほうが有利という結果に まずは 乱数が最も少ないだろう1人編成で比較を行ってみました。 攻撃対象は流賊レベル7(レベル6だと呂蒙が倒してしまったため)です。 夏侯惇1人の場合の撃破数(戦死+負傷兵) 盾車 戦鼓 1回目 10925 12429 2回目 9260 12388 3回目 10101 9652 4回目 11596 16113 5回目 11700 12027 平均 10718 12522 わずかながら 戦鼓のほうが多く損失を与えるという結果に。 まあ、攻撃型武将なので、『 殺られる前にやる!』というスタンスから考えれば妥当な結果でしょう。 呂蒙1人の場合の撃破数(戦死+負傷兵) 盾車 戦鼓 1回目 23973 25924 2回目 22778 24091 3回目 22312 27091 4回目 24628 26222 5回目 24628 26940 平均 23766 26054 呂蒙の場合も 戦鼓のほうが多く損失を与えるという結果に。 味方武将が呂蒙単独のなため、耐えて時間稼ぎをしたところで 攻め手は変わらないのでこのような結果になったと予想されます。 以外と夏侯惇より呂蒙の方が強かったという事実。 戦力は夏侯惇のほうが上なんですけどね 【条件】 ・使用する計略や兵器レベルは1人編集のときと同じ ・比較 目的は、兵器が「戦鼓の場合」と「盾車の場合」どっちがいいかを調べること ・防御編成については、本来回復や武将2人が理想的であったが、入手できなかったため小喬(統率アップによる防御上昇)で代用 攻撃編成(総戦力89127) 前衛:夏侯惇・典韋 後衛:張角・孫尚香 4人共攻撃スキル持ちの編成です。 耐久編成(総戦力79036) 前衛:呂蒙・公孫瓚 後衛:甄氏・小喬 前衛が回復・防御アップ、後衛が回復、統率アップです。 長時間耐え、手数を増やすことを目的としています 各編成での比較結果 編成のタイプで有利兵器が異なる模様 続いては、編成人数増加により乱数が増える複数で比較を行ってみました。 攻撃対象は馬賊レベル10です。 攻撃編成の撃破数(戦死+負傷兵) 戦鼓 盾車 1回目 88849 87443 2回目 90366 92289 3回目 87443 86273 4回目 82237 68359 5回目 92765 79819 平均 88332 82834 1人の時と同じく、 戦鼓のほうがダメージ量が多いです。 予想はしていましたが、回復できる武将がいない上に耐えることに特化した武将がいないため、攻撃型の場合は戦鼓のほうがよさそうですね 防御編成の撃破数(戦死+負傷兵) 戦鼓 盾車 1回目 26565 27268 2回目 26547 30211 3回目 25022 24443 4回目 25557 27400 5回目 25255 28391 平均 25789 27543 1人のときと違って、盾車のほうが与ダメージが多いという結果になりました。 防御型の理想 「前衛が耐えて、後衛の攻撃時間を増やす」という形ができているというところでしょう。 ただ、単に耐えて後衛の通常攻撃を増やすだけよりも、回復や被ダメージ軽減ではなく 「怒気回復不可」によるさらなる手数の減少や 「継続ダメージ」を使ったさらなる与ダメージアップなどもするといいかもしれませんね。

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三国志14の新武将作成の仕方 ~エディット機能で理想の武将をつくろう~

新 三国志 陣形

比較にあたっての前提条件など 条件一覧 ・兵器の強化レベルは+22 ・検証に当たって乱数(同士討ちなどのランダム要素)をなくしたいため、使用計略は一気呵成+上兵謀伐に固定 ・検証に使用する武将の装備・役職は何もないようにする(装備による性能差が出ないようにするため) 比較に使用した武将 夏侯惇 呂蒙 耐久武将1人+戦鼓or盾車 1人(格上相手)の場合は戦鼓のほうが有利という結果に まずは 乱数が最も少ないだろう1人編成で比較を行ってみました。 攻撃対象は流賊レベル7(レベル6だと呂蒙が倒してしまったため)です。 夏侯惇1人の場合の撃破数(戦死+負傷兵) 盾車 戦鼓 1回目 10925 12429 2回目 9260 12388 3回目 10101 9652 4回目 11596 16113 5回目 11700 12027 平均 10718 12522 わずかながら 戦鼓のほうが多く損失を与えるという結果に。 まあ、攻撃型武将なので、『 殺られる前にやる!』というスタンスから考えれば妥当な結果でしょう。 呂蒙1人の場合の撃破数(戦死+負傷兵) 盾車 戦鼓 1回目 23973 25924 2回目 22778 24091 3回目 22312 27091 4回目 24628 26222 5回目 24628 26940 平均 23766 26054 呂蒙の場合も 戦鼓のほうが多く損失を与えるという結果に。 味方武将が呂蒙単独のなため、耐えて時間稼ぎをしたところで 攻め手は変わらないのでこのような結果になったと予想されます。 以外と夏侯惇より呂蒙の方が強かったという事実。 戦力は夏侯惇のほうが上なんですけどね 【条件】 ・使用する計略や兵器レベルは1人編集のときと同じ ・比較 目的は、兵器が「戦鼓の場合」と「盾車の場合」どっちがいいかを調べること ・防御編成については、本来回復や武将2人が理想的であったが、入手できなかったため小喬(統率アップによる防御上昇)で代用 攻撃編成(総戦力89127) 前衛:夏侯惇・典韋 後衛:張角・孫尚香 4人共攻撃スキル持ちの編成です。 耐久編成(総戦力79036) 前衛:呂蒙・公孫瓚 後衛:甄氏・小喬 前衛が回復・防御アップ、後衛が回復、統率アップです。 長時間耐え、手数を増やすことを目的としています 各編成での比較結果 編成のタイプで有利兵器が異なる模様 続いては、編成人数増加により乱数が増える複数で比較を行ってみました。 攻撃対象は馬賊レベル10です。 攻撃編成の撃破数(戦死+負傷兵) 戦鼓 盾車 1回目 88849 87443 2回目 90366 92289 3回目 87443 86273 4回目 82237 68359 5回目 92765 79819 平均 88332 82834 1人の時と同じく、 戦鼓のほうがダメージ量が多いです。 予想はしていましたが、回復できる武将がいない上に耐えることに特化した武将がいないため、攻撃型の場合は戦鼓のほうがよさそうですね 防御編成の撃破数(戦死+負傷兵) 戦鼓 盾車 1回目 26565 27268 2回目 26547 30211 3回目 25022 24443 4回目 25557 27400 5回目 25255 28391 平均 25789 27543 1人のときと違って、盾車のほうが与ダメージが多いという結果になりました。 防御型の理想 「前衛が耐えて、後衛の攻撃時間を増やす」という形ができているというところでしょう。 ただ、単に耐えて後衛の通常攻撃を増やすだけよりも、回復や被ダメージ軽減ではなく 「怒気回復不可」によるさらなる手数の減少や 「継続ダメージ」を使ったさらなる与ダメージアップなどもするといいかもしれませんね。

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【新三國志】衡軛陣の詳細

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中国伝来の八陣図 「八陣図を考案したと言われる三国志の名軍師、諸葛亮」 日本で有名なのは、中国から伝わった 八陣図です。 8世紀頃には伝来していたそうですが、実は中国でも原型が固まっておらず、実態が明らかではありませんでした。 そのため、武田信玄に仕えた 山本勘助が、この作り直しを提案します。 そして彼が考案したものが、 「魚鱗・鶴翼・偃月・鋒矢・方円・長蛇・衝軛・雁行」の八陣でした。 これを 武田八陣形と言います。 この中でも合戦で良く用いられたものが、魚鱗の陣と鶴翼の陣です。 一方、側面や後方からの攻撃には弱くなります。 ただ、多くの兵が散らばらずに密集しているため消耗戦にも強いというメリットがあります。 【鶴翼の陣】 自軍を敵に対して左右Vの字型に広げた、最も基本的な陣形です。 鶴が翼を広げたように見えるため、鶴翼の陣と呼ばれます。 敵軍が前進・突撃してくれば、左右の翼に当たる部分で包囲して攻撃を加えます。 陣形が勝敗を左右!三方ヶ原の戦い 「三方ヶ原での敗戦後に家康が描かせたと言われる【顰像】」 武田信玄と徳川家康との間で行われた 三方ヶ原の戦いは、陣形が勝敗を左右したと言われる合戦の筆頭です。 兵力は、武田軍2万7千~4万、徳川軍は1万1千~2万8千と推測されています。 家康は、三方ヶ原を通過する武田軍を見て、家臣の反対を押し切り出陣したと言われています。 そして彼が取った陣形は、 鶴翼の陣でした。 一方、信玄は 魚鱗の陣で迎え撃ちます。 ここで気になるのは、両軍の陣形が定石とはまるで反対であることですね。 本来ならば、多数の武田軍が鶴翼の陣で徳川軍を包囲しにかかり、徳川軍は少ない兵力を集中させて中央突破する形だと思います。 家康は、武田本隊がすでに去っており相手が少ないことを想定したのだとか、勝ち目が無いとわかっていたからこそ、自軍を多く見せるために鶴翼の陣を取ったのだとか、諸説あります。 信玄の方も、徳川軍が鶴翼の陣であるならば、薄い中央を叩くために魚鱗の陣を取ったのだとする説もあります。 数的不利にありながら、戦端は徳川方から開いてしまったようです。 そのため、鶴翼の翼部分が攻撃を受けて総崩れとなり、元々が強兵で数も多い武田軍が徳川軍を圧倒しました。 そして家康は敗走し、三方ヶ原の戦いは武田方の勝利に終わったのです。 しかし、この戦いに関しては詳細が残されておらず、陣形以外のことはほぼ不明なのです。 陣形機能不全!関ヶ原の戦い 「関ヶ原の戦いにおける布陣図」 関ヶ原の戦いでは、西軍が笹尾山などの高所を押さえたことで、鶴翼の陣のような形になりました。 東軍は低地に入ってこなければならないので不利だったのですが、ここでは東軍の調略が物を言います。 西軍の小早川秀秋や吉川広家などが内通したため山から動かず、結果として鶴翼の陣は功を奏しませんでした。 そして西軍は敗れたのです。 いかがでしたか? 陣形を使うにしても、大将の意のままに動く兵がいないとダメだということですね。 関ヶ原のように大名が集結して戦う場合は、ちょっと難しかったのでしょう。 他にも数々の陣形がありますので、合戦でどのように使われていたか調べてみたくなりました! xiao.

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