与謝野 晶子 短歌。 「夏の短歌」5人の有名歌人の代表作を30個紹介~与謝野晶子・北原白秋など

5分で与謝野晶子について!特に有名な短歌、代表作品は?│れきし上の人物.com

与謝野 晶子 短歌

何となく君に待たるるここちして出でし花野に夕月夜かな 読み:なにとなく きみにまたるる ここちして いでしはなのに ゆうづきよかな 作者と出典 与謝野晶子『みだれ髪』 現代語訳 何となくあなたが待っているような気がして、秋の花が咲き乱れる野に出てみたら、月が夜空に浮かんでいた 教科書掲載の短歌一覧 文法解説 ・この短歌に句切れはないので、句切れなし ・「何となく」の読みは、「なにとなく」 ・「出でし」の「し」の基本形は過去を表す「き」 「し」は連用形。 「出た先の花の野」の意味。 ・「花野」…野原に花の咲いているところ 古くから多くは、秋の野の意味。 ・夕月…夕方の空に見える月 ・「かな」は詠嘆の助詞 表現技法 ・結句の「かな」は助詞、体言止めにせず「かな」をつけて終わる余韻を出している ・初句「何となく」は「ここちして」を修飾するが、具体的な言葉ではなく、気分を表すためで、淡い印象をもって一首を始めている ・「花野」「夕月夜」など、古典的で女性的な言葉が散りばめられている 関連記事: 解説と鑑賞 相聞の短歌。 相聞というのは、「恋愛の歌」のことであって、一首は、女性である作者のの相手に会いたい気持ちを表している。 「何となく」というのは、故由もなく、理由もなく、の意味で、相手に実際に呼ばれているわけではないのだが、作者自身の、思慕の念、相手に会いたい気持ちを、受身形で「待たるるここち」と表していることに注意。 「待たるる」は「待たれる」の意味だが、「待たるる」と受け身で表すことであって、この時代の女性らしさが出ている。 「るる」連用形の言葉の音が美しく、たとえば「君に会いたきここちして」であるよりも、ずっと音が美しく、この言葉が選択されたと思われる。 「花野」は古い短歌ではよくつかわれる言葉で、多くは秋の野を指し、和歌で使われる秋の花は、萩などの繊細な花が多い。 そのような清澄な美しさを含むイメージでもある。 「夕月」は夕方早く出る月のことで、あたりはまだ光が残っており、花の影もおぼろに見える。 そのような中に立つ女性の影もまた美しくイメージされるであろう。 与謝野晶子は実際にはもっと行動的な女性であったと思われ、「狂ひの子われに 焔 ほのほの 翅 はねかろき百三十里あわただしの旅」など、相手に待たれるどころか、会いに行こうとする歌もある。 この歌は、それに比べると、もっとほのかな女性の恋心を受け身で歌うというものであり、広く好まれるものとなっている。

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【清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。 漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。 【今日のことば】 「妻病めば我れ代らんと思ふこと彼女も知らぬ心なりけれ」 --与謝野鉄幹 短歌文芸雑誌『明星』は、明治期の文壇に欠くべからざる存在だった。 与謝野鉄幹(本名・寛)はその『明星』を創刊・運営した歌人であり、与謝野晶子の夫である。 晩年の歌人夫婦は連れ立ってよく旅をした。 多くは土地の有力者の招待によるもので、各地で催される講演会や歌会に臨んだのであった。 そんな旅の途中、晶子が西那須温泉で倒れた。 昭和8年(1933)暮れというから、晶子55歳、鉄幹は60歳の折の話である。 年が明けても病はなかなか癒えず、鉄幹はおろおろと病臥の妻を見守り、ひたすら回復を祈る。 掲出の短歌は、そのとき鉄幹が詠んだもの。 病臥する妻を見て、自分が代わってやりたいと、心から願っている夫なのだ。 他に次のような歌々も詠んだ。 「わが妻よ君を守りて足らざりき病む君を見て悔ゆれど遅し」 「人の屑われ代り得ば今死なぬ天の才なる妻の命に」 鉄幹は晶子を妻として愛しているだけでなく、歌人としての才能を非常に尊敬していた。 自分のようなろくでなしが身代わりになることで、この人が救われるなら、命を投げ出してもいいと、本気で歌い上げるのである。 たどってきた足跡を振り返れば、鉄幹自身はけっして品行方正とはいえない。 恋多き男であった。 晶子と結ばれる前にも、すでに妻子があり、晶子と恋愛関係に陥りながら、その友・山川登美子とも恋を語らっていた。 ここに、若き日の鉄幹の胸奥からこぼれ出た歌がある。 「業平がのちにきたれるここにひとり恋のほこりの歌二万年」 その昔、美男の典型のようにいわれた在原業平(ありわらのなりひら)に自分自身を重ね、恋多きことに天然の誇りを抱いている。 そんなわけだから、前の妻の滝野に向かって、平気でこんなことを言っていた。 ゲーテの恋人が12人。 バイロンにはもっと多くの数えきれぬ恋があった。 自分も詩人として複数の恋人を持っても、それは深く咎めるべきことではない。 妻である君は別格として、晶子も登美子も雅子も花子も、みんな可愛い恋人なのだ--。 滝野と別れ、晶子と結婚したのちも、何かとやきもちをやかせることが少なくなかった。 そうした過去もありながら、ふたりは最後はおしどり夫婦として全国行脚を楽しんでいた。 そして、鉄幹は病臥した妻の命を何より大切に思い、必死で回復を願ったのである。 願い通り晶子はほどなく回復した。 黄泉路への旅立ちは、結局、鉄幹の方が先だった。 生前の約束通り、末期の水は晶子が与えた。 納棺に際し、子どもたちは、鉄幹の愛用した筆や硯、煙草などを棺におさめていく。 悲しみの中でそんな様子を見守りながら、晶子は思う。 あの人は、そんなもののどれよりも、この私を愛して側に置いていたのよ、と。 その三十一文字。 「筆硯煙草を子等は棺に入る名のりがたかり我を愛できと」 文/矢島裕紀彦 1957年東京生まれ。 ノンフィクション作家。 文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。 著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『』(監修/宝島社)などがある。 2016年には、『サライ. jp』で夏目漱石の日々の事跡を描くを年間連載した。

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旅に出て歌を詠んだ女性・与謝野晶子|俳句|趣味時間

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与謝野晶子『みだれ髪』 与謝野晶子「みだれ髪」は、刊行と同時に大きな反響を巻き起こしました。 それは、内容が恋愛を主題とした短歌が多く、当時としてはたいへんに大胆な、センセーショナルな内容であったからです。 しかし、与謝野鉄幹との恋愛があったから、この歌集の作品は詠まれたのです。 よって、『みだれ髪」は夫となる与謝野鉄幹との愛の記録でもあります。 その視点から与謝野晶子の「みだれ髪」で、鉄幹と結ばれるまでの愛の短歌を時間順に、意味と現代語訳を当ててご紹介します。 与謝野晶子の当時センセーショナルな内容「みだれ髪」、元々が空想的な傾向の強い明星派ですので、実体験そのままかどうかはともかくとして、事実がベースになっていることは間違いないでしょう。 「みだれ髪」の意味は? そもそも、歌集題名の「みだれ髪」の意味とは、どのようなものでしょうか。 当時の女性は長い髪を束ねて、高く結い上げるというヘアースタイルをしていました。 朝になると、寝ている間に髪型が崩れてしまうのは誰も同じなのですが、それを、恋人と過ごした夜が明けたあとの「みだれ髪」と焦点化したものが、この場合のみだれ髪の意味です。 単なる崩れではなくて、そこにもっと官能的で叙情的な意味を込めた言葉が、この「みだれ髪」なのです。 「みだれ髪」を含む歌 歌集『みだれ髪』を読んでいくと、「狂ひの子われに焔ほのほの翅はねかろき百三十里あわただしの旅」といううたがありますが、これは晶子が鉄幹に会いに上京をしたことを示す歌があります。 恋人にあわただしく会いに行ったそのあとに「うつくしき命を惜しと神のいひぬ願ひのそれは果してし今」と続くので、晶子の「願い」は上京の後において遂げられたことが明らかです。 さらに、歌集題名にもなった「みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす」の歌がここにあり、その「願い」とは、晶子が鉄幹とこの時点で一夜を共にしたことを指すことになるでしょう。 それを指し示す具体的な事物の一つが「みだれ髪」というアイテムであり、それが歌集のタイトルなのです。 君さらば巫山 ふざん の春のひと夜妻 またの夜までは忘れいたまへ 読み:きみさらば ふざんのはるの ひとよづま またのよまでは わすれいたまえ 現代語訳 さようならあなた。 巫山の春の一夜妻として、またの夜までは忘れていてください 解説 巫山とは、楚の懐王が昼寝の夢の中で巫山の神女と契ったという故事から、男女が夢の中で結ばれることを指します。 これは、晶子が手紙で鉄幹に書き送った歌で、実際はもちろん忘れてほしいどころではなかったでしょう。 与謝野晶子が、これほどセンセーショナルな歌を詠んで世に放ったのは、一つには私を妻として認めてほしいということのプロモーションでもあったのだと思います。 おそらく、当人としては必至な思いがあったのでしょう。 それが、与謝野晶子の才能を開花させたのです。 春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ 読み:はるみじかし なんにふめつのいのちとぞ ちからあるちを てにさぐらせぬ 現代語訳 人生は永遠ではないのだからと、自分の張りのある胸にあなたの手を導いた 解説 相手の与謝野鉄幹に「家庭や妻がある」などという矮小な見識を越えて、命の短さを説く晶子。 初句切れといい、二句の強意、「ちからある」の意志の強さを同時に示す、乳の形容。 「さぐらせぬ」の能動性が、晶子の主導する姿勢を表しています。 この時代の女性には画期的なことだったでしょう。 これほどのたくさんの歌が短期に生まれたのは、やはり恋愛が、それも道ならぬ恋を何とか通そうと、鉄幹に向けて書き送ったことが背景にあるでしょう。 その歌を見る相手が、同時に恋愛の相手であることから、おのずから歌も良きものとしようという鍛錬がなされ、歌を読むことでまた恋慕の意思も確固たるものともなったと思われます。 与謝野晶子の『みだれ髪』の他の短歌 他に、下の歌の解説をそれぞれのページにてご覧ください 与謝野晶子歌集『みだれ髪』背景 『みだれ髪」が出たのは、作者名は与謝野姓になる前で、まだ「鳳(ほう)晶子」となっていました。 明治時代のことで、奔放大胆な官能的な表現と、解放された自我の感情過多の表白は世を驚かせ、ほとんどスキャンダルめいた印象を与えたので、賛否両論の渦に巻き込まれたといいます。 けして、最初から高い評価をストレートに得たというわけではなかったのです。 というのは、当時の新詩社の歌は、独特な新しいスタイルを持ち、その頃の晶子の短歌も、新詩社の同人同士でしかわからないような、晦渋な比ゆ的、隠語的表現の空想家が多く、自己陶酔の大げさな身振りに満ちていました。 その難解さが、当時この歌集の斬新な魅力でもあったのですが、のちに晶子は、『みだれ髪」の歌の改作を行いましたが、同時にこの歌集の魅力を切り捨ててしまうことにもなったようです。 当時の歌壇には、自然主義、写実主義の派が明星派との対極にあり対立をしていたわけですが、派の違いはあれ、与謝野晶子の才能は疑うべくもないでしょう。

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