産まれ て すぐ ピエロ と 呼ば れ た 息子。 数十万人に1人の難病に立ち向かう親子の実話『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』を刊行!

【30万に1人の難病「魚鱗癬」】感謝。母として少しずつ我が子の育児を始められる歓び(BEST TIMES)

産まれ て すぐ ピエロ と 呼ば れ た 息子

KKベストセラーズ 株 ベストセラーズ 本社:東京都豊島区、代表取締役:小川真輔 は11月9日 土 にピエロの母の著書「産まれてすぐピエロと呼ばれた息子」を発売致します。 出生時から皮膚の角層が格段に厚く、バリア機能がほぼ失われてしまう「道化師様魚鱗癬」(どうけしようぎょりんせん)。 皮膚がひし形にめくれることから、「道化師(=ピエロ)」という名が付いたこの難病を抱えて生まれた陽(よう)君の毎日を記したブログが、この度初めて書籍化されます。 誕生の様子から病名の告知、困難な育児の日々まで。 ブログの書き手である母が夫とともに苦しみ、悩み、前を向く姿を綴ります。 「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」という母の思いが込められた文章は、多くの親を励ます力を持っています。 この機会にぜひご一読下さい。 「神も仏もない」 第二章「私を責める者」 ピエロの母 ミニコラム1. 「嬉しい!! 「考えた方に感謝」 ピエロの父 コラム2. 「泣き虫父ちゃん」 ピエロの母 ミニコラム3. 」 ピエロの父 コラム3. 出産から現在に至るまでの闘病を記したブログは反響を呼び、Amebaブログではすでに3000人以上のフォロワー数を記録している。 また同ブログのハッシュタグ記事ランキングの『 難病』部門では、トップランキング入りも多数。 関西某県の田んぼと山が見渡せる田舎で、息子と夫とともに暮らす毎日。

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産まれてすぐピエロと呼ばれた息子(最新刊) |無料試し読みなら漫画(マンガ)・電子書籍のコミックシーモア

産まれ て すぐ ピエロ と 呼ば れ た 息子

難病 「道化師様魚鱗癬」を患う我が子と若き母の悲しみと苦しみ。 「ピエロ」と呼ばれる息子の過酷な病気の事実を出産したばかりの母は、どのように向き合ったのか。 の著作を綴った 「ピエロの母」が医師から病名を宣告された日、母は我が子の「運命」を感謝しながら「これからの親子の人生を豊かなものにしよう」と新たなる決意をした。 今回は、息子と向き合うことで見えたピエロの母自身の子供時代の切ないエピソード。 人の子の母となることは、自分の母、父を思うことでもあることを静かに綴ってくれた。 私は兄、兄、私の3人兄弟の末っ子。 長男とは歳が離れていることもあり、あまり話をしたことがなく、いつしか「おはよう」という簡単な4文字の挨拶ですら、なかなか交わせない関係となっていた。 そして私には父親はいない。 正確には、私が18歳になるまではいた。 けれど父親だと思ったことは、物心がついた頃からは一度もなく、「さようなら」をした最後の日、 久しぶりに目を見て話をした。 「いつまでも可愛い娘や思とるから」 そう言う、あの人を私は無言で見送った。 心の中で「さようなら」をした。 周囲には「やっとおらんくなったわ〜」なんて言っていたけれど、本当は泣いたんだ。 さびしくて、悲しくて。 でも、それはあの人がいなくなったから、淋しいのではない。 ただ、ずっと「父さん」と呼んで頼れる存在がほしかった。 「父さん、あのね」 「父さん、聞いて」 それでも、そんな想いを上回るほどの愛情を、私は母親から貰っていた。 母はいつでも私の味方をしてくれる。 理解してくれる。 きっと、あの人に関しては、私よりも母の方が辛い想いをしている。 けれど母はいつも笑顔だった。 母の優しい強さに、私はいつも救われていた。 陽が産まれて「家族」の形が少し変化した。 それは、長男との関係。 「お前は大丈夫なん? 」 「陽は? 」と心配して、訪ねて来てくれるようになった。 まだまだ言葉数は少ないが「これ」といって紙袋いっぱいに「陽へ」と服をくれた。 私が喜んで貰うと、次は段ボールいっぱいの服をくれた。 まだ陽には大きすぎる服も入っていた。 「ありがとう」 そして陽が産まれて、初めて迎えたゴールデンウィークには、 長兄家族、次兄家族、私たち家族、母。 みんなで集まってご飯を食べ、1つの部屋でゲームをして盛り上がった。 こんなこと、今までなかった。 皆で楽しめるようにと、用意してくれた夫のおかげだね。 陽が産まれてきてくれたおかげだね。 私は何よりも、兄弟仲良く、家族揃って笑って過ごす様子を、嬉しそうに見守る母の姿に、涙が出そうになった。 私がこの景色を望んでいたよりもっと、母はこの景色を強く望んでいただろう。 母さん、遅くなってごめんね。 「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」 このような気持ちから母親は、 息子の陽 よう 君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、 彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。 陽君を実際に担当した主治医の証言や、 皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。 また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、 障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。 障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。 涙を誘う文体が感動を誘います。 ぜひ読んでください。 オススメ記事•

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【難病「魚鱗癬」の息子が向き合わせてくれた父母への感謝。「笑顔の決意」紙袋に詰められた想い】

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難病「道化師様魚鱗癬」を患う我が子と若き母の悲しみと苦しみ。 「ピエロ」と呼ばれる息子の過酷な病気の事実を出産したばかりの若き母は、どのように向き合ったのか。 『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』の著作を綴った「ピエロの母」が医師から病名を宣告された日、母は我が子の「運命」を感謝しながら「これからの親子の人生を豊かなものにしよう」と新たなる決意をした。 今回は、オムツ換えから育児をようやく始められる母の思いを綴ります。 着いてすぐ、 「お母さん、オムツ替えてみますか? 」と言う看護師さん。 私はすぐに返事もできず、ただ陽と看護師さんを、交互に見ていた。 今までにも、仕事がらオムツ替えをしたことは何度もある。 けれど、なぜか急に、とてつもない緊張が襲った。 ちゃんと、できるかな。 不安からなのか、緊張からなのか、顔が熱くなる。 オムツを替えるだけで、こんなに緊張するなんて、 ダメな母ちゃんだね。 そして哺乳瓶で母乳をあげたり、全身に薬を塗ったり、抱っこできたことを皮切りに、 少しずつ私が陽にしてもいいことが増えてきた。 今まではずっと傍にいても、何もしてあげられなかったけれど、やっと母親らしいことができる。 面会終了時間も間近に迫った頃、陽が眠っていたため、 私も静かにしていると誰も居ないと思われ、半灯にされてしまうこともあった。 「陽ちゃんのお母さん、まだ居るんちゃうん? 」 と一人の看護師さんが気付いて下さり、 「すみませ~ん。 まだいま~す」 と私が情けない声をあげると、部屋中、看護師さんと私の笑い声が響く。 そんな中でもグッスリ眠る陽と、 赤ちゃんたち、ゆっくり眠ってね、と病院を後にする日が続いた。 そして陽が産まれて、2か月半。 看護師さんから、あるものを家から持ってくるように言われた。 帰りの車の中、一人、嬉しくて涙が溢れた。 涙で前が見えなくなり、 田舎の広いコンビニの駐車場に停め、気が済むまで嬉しさから溢れる涙を流した。 そして次の日、私は紙袋を大事に抱えて、病院に向かう。 紙袋の中に、 「陽の服」 を詰め込んで。 (『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より) *本日、午後3時49からのCBCテレビ『チャント』にて本書の著者であるピエロの母、陽くん、ピエロの父が取材されております。

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