暴走 族 の エスノグラフィー。 『暴走族のエスノグラフィー』にみるジョブ

『暴走族・ヤンキー若者のエスノグラフィー』を書く!

暴走 族 の エスノグラフィー

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支援者:6人 お届け予定:2017年12月 このプロジェクトは、 All-In方式です。 FAQ Q. 支払い方法は何がありますか? A. クレジットカードの決済はいつ行われますか? A. 「All-or-Nothing」では募集期間中に目標金額を達成した場合、「All-In」では目標金額の達成・未達成に関わらず、プロジェクトは成立となります。 募集期間内にプロジェクトが成立した場合のみ、支援金の決済が実行されます。 募集期間内にプロジェクトが成立しない場合は、支援金の決済は実行されません。 その場合はプロジェクトオーナーに支援金は支払われず、選択したリターンの発送(履行)もありません。 プロジェクトに関する質問はどうすればいいですか? A. プロジェクト内容に関するご質問やご意見は、プロジェクトオーナーへCAMPFIREのメッセージ機能をご利用ください。 間違って支援した場合はどうなりますか? A. 選択したリターンの変更・キャンセル・返金は一切受け付けておりません。 リターンの変更・キャンセル・返金については、各プロジェクトオーナーへ直接お問い合わせください。

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株式会社ジャパン・マーケティング・エージェンシー フィールドワーク部 小林祐児(コバヤシ ユウジ) 映画『マイ・バック・ページ』における妻夫木聡は、主人公らしい颯爽さも重厚さも持ち合わせない、なんとも情けない顔で画面に登場してくる。 妻夫木聡が演じる青年・沢田は、テキ屋として歩行者相手にウサギを売っている。 だが、おそらくすぐ死んでしまうそのウサギたちを売る沢田の声は、今にも泣きだしそうなほどか細い。 せっかく足を止めた客にも逃げられ、フーテンの仲間達にも「だめだよそれじゃー!」と激を飛ばされてしまう。 映画が進めばすぐにわかることだが、沢田は本物のテキ屋ではない。 出版社に勤めるジャーナリストである沢田は、「東京放浪記」というルポを書くため、身分を隠して若いテキ屋のコミュニティに潜入しているのだ。 こうした普段表舞台に登ることの少ない「浮浪者」「ヤンキー」「裏稼業」などの人々は、社会調査にとってもきわめて接近しづらい(がそれゆえに興味をそそる)対象として存在してきた。 そこでの接近方法として選ばれてきたのが、沢田がしたのと同様に、彼らが生きる現場に調査者が自ら潜入し観察・分析する「参与観察」の方法である。 『マイ・バック・ページ』の舞台は、熱い政治の季節が終わりを迎えつつある1960年代後半であった。 本エントリの目的は、それより以前までさかのぼり、過去の社会調査者たちによる参与観察の歴史を振り返ることで、より広義の「定性調査」の深層を照らし出していくことである。 「参与観察」の始まり 対象とする社会や文化の中に直接介入し調査を行うという広い意味での「参与観察」に先鞭をつけたのは、社会学でも、もちろん経営学でもなく、人類学の分野であった。 1914年、文化人類学者のブロニスワフ・マリノフスキは、ニューギニア島東沖トロブリアンド諸島の先住民たちの部落に潜入し、初めての本格的な参与観察を開始している。 しかし、文化人類学的な初期の参与観察は、未だ西欧社会がふれたことのない「未開の地」への冒険・探査という色合いが強く、現在の社会調査との連続性は希薄である。 マリノフスキらの調査は、言葉も通じない原住民の部落近くに少人数でキャンプを張る、文字通り生死をかけたものであったが、そのエスノグラフィーを読んでみると、「紀行文」「ルポタージュ」といった社会科学以前の伝統的な叙述法が踏襲されていることがわかる。 より近代的な方法論に基づき、「社会科学」に内在的となった参与観察の代表的業績は、アメリカの都市社会学者W・F・ホワイトによる『ストリート・コーナー・ソサエティ』を待たなければならない。 「野郎ども」を知れ ホワイトがその地に生きる人々と暮らしを共にしながら観察したのは、1937年のボストン市街地周辺、コーナーヴィルのスラム街に生きるイタリア人コミュニティである。 当時の普通の人々から見れば、そのスラム街は混沌とした「社会ならざる場所」として平板な評価を与えられていた。 マフィアやゴロツキたちがうろつく荒んだ街コーナーヴィルは「社会の外にある場所」として偏見に満ちた視線を浴びていたのである。 しかしホワイトは、社会のアウトサイダーである街角の人々と生活を共にし、その世界のディティールを描き出すことによって、それまで明かされることのなかったスラム街のダイナミックな社会構造を浮かび上がらせた。 ギャング団の若者たち(コーナーボーイ)たちが女性関係やボーリングの試合などを通じて仲間内でのポジションを変化させていく様子や、大物のマフィアや地元警察・州議員らと行う巧妙なパワーゲームなどを分厚く記述し、コーナーヴィル内部・外部に生きる人々の平坦どころか複雑に入り組んだ社会関係を明らかにしたのである。 その後も社会学は、さまざまな場所への参与観察を通じて、定量的な調査が接近することのできない対象への距離を縮めていった。 「反-社会」の中にある「社会」 ヤンキーやギャング、暴走族といった人々を対象としたこれらのモノグラフは、いったい何を示し、何を残したのだろうか。 たとえば『ストリート・コーナー・ソサエティ』は、街角の若者たちのソフトボールによる窓ガラス破損というトラブルを、ヤクザの大物・市会議員など、ギャング団の外にある周辺のコミュニティへのコネを使い、巧妙に処理していく様子が描かれる。 ハマータウンの「野郎ども」たちは、気真面目な優等生たちをバカにし、学校や教員に対する反権威的な態度を取り続けるが、その延長として自ら進んで厳しい労働環境に身をおくことを選び、結果的にイギリスの階級制度が再生産されていく。 佐藤が分析した若き暴走族たちは、二十歳を過ぎる頃、「卒業」という通過儀礼を通じてそれまで反抗を繰り返した一般的な世間へと「オチツいて」いき、平凡で安泰な暮らしへと着地していく。 これらの研究に共通しているのは、通常の社会から逸脱した集団が独自に築いている社会構造を緻密に描きだしながらも、全体社会での彼らの位置を常にトレースしていくような俯瞰的な視野を忘れないところである。 「野郎ども」たちが生きる社会は、そこでしか通用しないルールや規範、独自の人間関係を色濃く保っているが、それは決して閉じた構造ではない。 彼らは常に周辺社会との相互作用のうちに自分たちのポジションを定立し、独特の暮らしを成り立たせている。 コーナーヴィルの呑み屋が、ホワイトらとの会話でもらす印象的な台詞がある。 「なあ、ビル。 おれはコーナーヴィルから転勤させられた時に、泣いていたお巡りたちを知っているぜ。 やつらはみんなここにいたいんだよ。 ギャング団のコミュニティを脱社会的若者たちの閉じた関係として観察するだけでは、これらの会話の意味は決して見えてこないだろう。 社会の内の「われわれ」/社会の外の「ヤツラ」 一般の社会の外にいるかのように見える「野郎ども」は、十分すぎるほどの複雑性をもった社会を築きあげていた。 彼らの生活を眺めながら気づかされるのは、ある社会空間を「普通と逸脱」「中心と周辺」「外と内」に分けて思考させるような「何か」の存在である。 彼らの息遣いを眺めることは、目に見えることのない社会の境界線と、境界線を設定するその「何か」を見つめ返す、反省の機会を与えてくれる。 その「何か」は、アウトサイダーたちの中にも、われわれの中にもあって、様々な場面で作用する。 たとえば、野郎どもが「おれたちは(優等生の)アイツらとは違うぜ」と仲間にハッパをかける時に。 暴走する若者が「自分たち以外」が住む反抗すべき社会を「世間」と呼ぶ時に。 われわれが街角にたむろするマフィアたちを「アウトサイダー」と指す時に。 ここには、どこからどこまでが社会「内」で、どこからが「外」であるかを決める志向性が、そもそもその者が生きる「社会」に依存してしまうという、入り組んだ関係がある。 「社会」概念の、扱いにくさと共存するこの奇妙な性格を、連載「社会学のすゝめ」の最初のエントリとしてここで強調しておきたい。 方法論としての参与観察 さて、ここまで来たところで、調査についての方法論的議論に立ち返ろう。 むろん、マーケティング・リサーチの領域では、上述のような数年の調査期間とコストの必要な参与観察はまず不可能である。 しかし、いわゆる定性調査についての現代的議論も、これら参与観察が拓いてきた地平の上にあることはもっと顧みられてよい。 定性調査における ・「倫理」をめぐる問題 ・「正確さ」をめぐる問題 ・「質的調査/量的調査」の区別 ・「インタビュー」と「相互作用」の領域 今でもしばしば話題になるこれらのテーマは、参与観察の歴史の開始地点からずっと繋がった議論の延長上にある。 こうした問題について、過去の調査史から学び得ることは多く残されているはずだが、紙幅の関係上、それはエントリの後編へと引き継ぐことにしよう。 /BLACK EMPEROR』がある。

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