瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ。 ちょっと差がつく百人一首講座

077 崇徳院 瀬を早み

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

【2003年2月5日配信】[No. 時間の過ぎゆく速さにはいつも驚かさ れます。 暦の上ではもう春なんですね。 それにしても1月下旬から寒さが特に厳しくなり、依然として 雪が降ったり凍るような風が吹いたりしている毎日です。 山に掛かる雲も、輪郭がぼやけ、綿菓子のような形のをよく見 かけるようになりました。 輪郭があいまいなのは、雪を降らせる 雲の特徴。 山頂部は激しい雪が降っていることでしょう。 今は全国的にインフルエンザが大流行しているようですし、と ても春に近づいた様子がない、というのが正直なところ。 しかし気がつくと日の暮れがすこしづつ遅くなっています。 そういうところに、かすかな春の気配を感じる、といったとこ ろでしょうか。 長い不況が続いており、海外ではテロや戦争の噂まであります。 今の時期は誰しもに厳しい「冬」にもたとえられるでしょうが、 長い冬は暖かい春への準備だとも言えるでしょう。 月の半ばごろ からは、梅の便りも届くでしょうし。 暖かい春を目指して準備を 怠りなく過ごしたいものです。 最終回は、鳥羽天皇の第一皇子・崇徳院が詠んだ再会を待つ一 首です。 しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれて も、いつかはきっと再会しようと思っている。 「〜を+形容詞の語幹+み」 と続くと、「〜が・形容詞・なので」と理由を表す言葉になりま す。 ここでは「川の瀬の流れが速いので」という意味です。 【岩にせかるる 滝川(たきがは)の】 「せかる」は「堰き止められる」という意味の動詞「せく」の未然 形で、後に受動態の助動詞「る」が付きます。 「滝川」は、急流とか激流という意味です。 上の句全体が序詞で、 下の句の「われても」に繋がります。 【われても末(すゑ)に】 「われ」は動詞「わる」の連用形で、「水の流れが2つに分かれる」 という意味と「男女が別れる」という意味を掛けています。 「ても」は逆接の仮定で、「たとえ〜したとしても」という意味で すので「2つに分かれてたとしても後々には」という意味になります。 【逢はむとぞ思ふ】 「水がまたひとつに合う」のと「別れた男女が再会する」の2つの 意味を掛けています。 「きっと逢いたいと思っている」という意味 です。 1119〜1164) 鳥羽天皇の第一皇子で、1123年に5歳で天皇の位を譲り受けまし た。 18年の在位の後に近衛天皇に譲位し、鳥羽上皇(本院)に対 し新院と呼ばれました。 鳥羽上皇の死後、後白河天皇との間で、 後の天皇にどちらの皇子を立てるかで対立。 戦となります(保元 の乱)が破れ、讃岐(現在の香川県)に流され、45歳で没しまし た。 在位中に藤原顕輔に『詞花和歌集』を編纂させています。 定家の父) に命じて編纂させた「久安百首」に載せられた一首です。 山の中を激しく流れる川の水が、岩に当たって堰き止められ、 岩の両側から2つに分かれて流れ落ち、再びひとつにまとまる。 その様子を離ればなれになった恋人への想いに重ねて詠う激しい 一首です。 「障害を乗り越えても必ず逢おう」という気持ちが込められてお り、激しく燃えさかる情熱と、強烈な決意のようなものが感じら れます。 しかし歌の作者・崇徳院は、18 年間位についたものの、当時の鳥羽上皇に強引に譲位させられま す。 さらに息子・重仁親王を天皇にと願ったものの、やはり上皇 の考えで後白河天皇に位を奪われます。 そして上皇の死後、後白 河天皇と、どちらの皇子を天皇にするかで争って破れたのが「保 元の乱」でした。 後世には、崇徳院の不遇な生涯とこの歌を結びつけ、強引に譲 位させられた無念の想いが込められている、と解釈する研究者も います。 それほど激しい想いを感じさせる歌でもあります。 崇徳院は乱に破れて讃岐国松山(現在の香川県坂出市)に流さ れた後、後白河天皇を呪い、ヒゲや爪を伸び放題に伸ばして恐ろ しい姿になりました。 調べに訪れた朝廷の使いは「生きながら天 狗と化した」と報告し、また今昔物語では西行が讃岐を訪れた際 に怨霊となって現れます。 しかし、戦乱の世を知らない我々は、離れば なれになった恋人との再会を誓う歌として詠むのがロマンチック でしょう。 拉致問題で北朝鮮から帰還した人々も、一時は今生の 別れを覚悟したかもしれません。 しかし、生きてさえいれば、ま た喜ばしい再会がめぐってくることもあるでしょう。 この一首は、そういう希望を詠んだ歌ではないでしょうか。 崇徳上皇が流された讃岐の地は、現在の香川県坂出市。 瀬戸内海 を望む海辺の街で、本州と四国を結ぶ、瀬戸大橋の基点です。 坂出市の崇徳上皇ゆかりの史跡には、流された上皇が暮らした 「雲井御所」(林田町)や、遺体が葬られた白峯山などがあります。 最近は、コシがあって柔らかく、しかも100円ほどで食べられる 「讃岐うどん」がブームのようです。 古の別離に想いをはせなが ら、グルメ旅行に訪れられるのも一興でしょう。 ここで一応終刊号とさせていた だきます。 最後までご愛読いただいた約1100人の読者の皆様、ありがとう ございました。 崇徳院のように怨霊にはならないでしょうが、 一抹の寂しさはございます。 しかし、分かれてまたひとつに合す る滝川のように、またいつの機会かお目にかかることを期待し、 皆様が健やかに日々を過ごされることを希求しております。

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百人一首の意味と文法解説(77)瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ┃崇徳院

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

100] 小倉山荘では、2000年~2002年にかけて、『ちょっと差がつく百人一首講座』と題したメールマガジンを発行しておりました。 『小倉百人一首』の中から毎回一首ずつ、100回完結の形式で発行いたし、たくさんの方々に愛読いただいておりました。 この度愛読者様からのご要望にお答えし、バックナンバーを作成いたしましたのでおせんべいを召し上がりながらゆったりくつろいでご覧ください。 尚、マガジンの記載内容につきましては発行時点(2000年~2002年)のものであること、お問い合せ等にはお答えできかねますことを重ねてご了承くださいませ。 2月4日は立春でした。 時間の過ぎゆく速さにはいつも驚かされます。 暦の上ではもう春なんですね。 それにしても1月下旬から寒さが特に厳しくなり、依然として雪が降ったり凍るような風が吹いたりしている毎日です。 山に掛かる雲も、輪郭がぼやけ、綿菓子のような形のをよく見かけるようになりました。 輪郭があいまいなのは、雪を降らせる雲の特徴。 山頂部は激しい雪が降っていることでしょう。 今は全国的にインフルエンザが大流行しているようですし、とても春に近づいた様子がない、というのが正直なところ。 しかし気がつくと日の暮れがすこしづつ遅くなっています。 そういうところに、かすかな春の気配を感じる、といったところでしょうか。 長い不況が続いており、海外ではテロや戦争の噂まであります。 今の時期は誰しもに厳しい「冬」にもたとえられるでしょうが、長い冬は暖かい春への準備だとも言えるでしょう。 月の半ばごろからは、梅の便りも届くでしょうし。 暖かい春を目指して準備を怠りなく過ごしたいものです。 最終回は、鳥羽天皇の第一皇子・崇徳院が詠んだ再会を待つ一首です。 「~を+形容詞の語幹+み」と続くと、「~が・形容詞・なので」と理由を表す言葉になります。 ここでは「川の瀬の流れが速いので」という意味です。 【岩にせかるる 滝川(たきがは)の】 「せかる」は「堰き止められる」という意味の動詞「せく」の未然形で、後に受動態の助動詞「る」が付きます。 「滝川」は、急流とか激流という意味です。 上の句全体が序詞で、下の句の「われても」に繋がります。 【われても末(すゑ)に】 「われ」は動詞「わる」の連用形で、「水の流れが2つに分かれる」という意味と「男女が別れる」という意味を掛けています。 「ても」は逆接の仮定で、「たとえ~したとしても」という意味ですので「2つに分かれてたとしても後々には」という意味になります。 【逢はむとぞ思ふ】 「水がまたひとつに合う」のと「別れた男女が再会する」の2つの意味を掛けています。 「きっと逢いたいと思っている」という意味です。 定家の父)に命じて編纂させた「久安百首」に載せられた一首です。 山の中を激しく流れる川の水が、岩に当たって堰き止められ、岩の両側から2つに分かれて流れ落ち、再びひとつにまとまる。 その様子を離ればなれになった恋人への想いに重ねて詠う激しい一首です。 「障害を乗り越えても必ず逢おう」という気持ちが込められており、激しく燃えさかる情熱と、強烈な決意のようなものが感じられます。 もちろんこの歌は恋の歌です。 しかし歌の作者・崇徳院は、18年間位についたものの、当時の鳥羽上皇に強引に譲位させられます。 さらに息子・重仁親王を天皇にと願ったものの、やはり上皇の考えで後白河天皇に位を奪われます。 そして上皇の死後、後白河天皇と、どちらの皇子を天皇にするかで争って破れたのが「保元の乱」でした。 後世には、崇徳院の不遇な生涯とこの歌を結びつけ、強引に譲位させられた無念の想いが込められている、と解釈する研究者もいます。 それほど激しい想いを感じさせる歌でもあります。 崇徳院は乱に破れて讃岐国松山(現在の香川県坂出市)に流された後、後白河天皇を呪い、ヒゲや爪を伸び放題に伸ばして恐ろしい姿になりました。 調べに訪れた朝廷の使いは「生きながら天狗と化した」と報告し、また今昔物語では西行が讃岐を訪れた際に怨霊となって現れます。 さほどの激しい人が詠んだ歌で、「瀬」や「岩」といった強烈な語句も見えます。 しかし、戦乱の世を知らない我々は、離ればなれになった恋人との再会を誓う歌として詠むのがロマンチックでしょう。 拉致問題で北朝鮮から帰還した人々も、一時は今生の別れを覚悟したかもしれません。 しかし、生きてさえいれば、また喜ばしい再会がめぐってくることもあるでしょう。 この一首は、そういう希望を詠んだ歌ではないでしょうか。 崇徳上皇が流された讃岐の地は、現在の香川県坂出市。 瀬戸内海を望む海辺の街で、本州と四国を結ぶ、瀬戸大橋の基点です。 坂出市の崇徳上皇ゆかりの史跡には、流された上皇が暮らした「雲井御所」(林田町)や、遺体が葬られた白峯山などがあります。 最近は、コシがあって柔らかく、しかも100円ほどで食べられる「讃岐うどん」がブームのようです。 古の別離に想いをはせながら、グルメ旅行に訪れられるのも一興でしょう。 当メールマガジンは、おかげさまで本号で100号を迎え、百人一首すべてを紹介し終えました。 ここで一応終刊号とさせていただきます。 最後までご愛読いただいた約1100人の読者の皆様、ありがとうございました。 崇徳院のように怨霊にはならないでしょうが、一抹の寂しさはございます。 しかし、分かれてまたひとつに合する滝川のように、またいつの機会かお目にかかることを期待し、皆様が健やかに日々を過ごされることを希求しております。

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(47)掛詞は続くよ、定家まで。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

スポンサーリンク 意味「77 瀬をはやみ〜」 川の浅瀬の流れが速いので、岩にせき止められた急流が、二つに分かれて、また合流してひとつになるよに、たとえ今は恋しいあなたと別れても、いずれ必ずまた逢おう。 作者:崇徳院とは? この歌を詠んだ崇徳院(すとくいん)は、鳥羽天皇の第一皇子で、第七十五代天皇です。 天皇に即位したときはまだ五歳で、二十代前半のときには、父の鳥羽上皇や関白の藤原忠通らの策略で退位させられてしまいます。 天皇の位は弟たちがつぐことになり、自分の子供を天皇の位につかせる、という望みもかないませんでした。 崇徳院は、武士が勢力をのばしていた平安時代末期の悲劇の天皇ともいわれます。 保元の乱に巻き込まれ、たたかいに敗れ、讃岐の国(香川県)に流され、そこで亡くなりました。 解説「77 瀬をはやみ〜」 この歌は、川の流れが二つに分かれ、またひとつに合流して下まで流れていく、という光景を見て、男女の関係のようだなぁ、と例えて表現している歌です。 スポンサーリンク 「瀬をはやみ」は「川の流れがはやいので」という意味です。 「瀬」は川の流れの浅いところです。 「〜を・・・み」は、「〜が・・・ので」という表現で、主に和歌に使われる技法のひとつです。 「せかるる」は「せき止められる」の意味で、「滝川」は滝のような急流の川のことです。 「われても」は、滝川の水が岩に当たって別れる、という意味と、恋人同士の男女が別れる、という掛詞になっています。 「逢はむとぞ思ふ」は、「将来また必ずあなたと逢おうと思っている」という意味です。 二人が「逢う」と、川の水が合流することの掛詞になっていますね。 上の句の「瀬を早み 岩にせかるる滝川の」は、「われても末に逢はむ」に序詞になっています。 「瀬」と「せか」と「滝川」は縁語の関係になっています。 上の句が「せ」から始まるのはこの歌だけ 上の句の一文字目でどの歌かわかる歌は、この歌を含めて全部で7首あります。 覚え方は、それぞれの歌の一文字目を並び替えて「むすめふさほせ」という覚え方が有名ですね。 「一字決まり」 18 すみのえの ー ゆめのかよひぢ 22 ふくからに ー むべやまかぜを 57 めぐりあひて ー くもがくれにし 70 さびしさに ー いづこもおなじ 77 せをはやみ ー われてもすえに 81 ほととぎす ー ただありあけの 87 むらさめの ー きりたちのぼる カテゴリー• 118•

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