馬と鹿意味。 バカとは?なぜ馬と鹿でバカなのか?馬と鹿は神聖な生き物?

【米津玄師/馬と鹿】歌詞の意味を徹底解釈!進む逆境の先には何が待っている!?

馬と鹿意味

元はハチというボカロPとして活動していましたが、その後本名の「米津玄師」として活動するようになります。 今回紹介するのは米津玄師さんの「馬と鹿」という曲です。 このタイトルに込められた意味と歌詞の意味、またMVにはどういった意味があるのかを考察していきます。 米津玄師「馬と鹿」ってどんな曲?? 本気の勝負に、手に汗握り、胸熱くなりました!! — REISSUE RECORDS reissuerecords 「馬と鹿」は米津玄師さんが2019年9月11日に発表した楽曲です。 タイトルの意味は動物の馬と鹿の文字を組み合わせると「馬鹿」という言葉になります。 馬鹿には「 愚かなこと、利口でない、社会の常識に欠けている」という意味があります。 そしてそれぞれの文字にも注目してみます。 「馬」は昔移動の手段であり、馬は高貴な人たちが使っていました。 「鹿」は仏教の中で「ハーモニー、幸福、平和」という意味があります。 TBS日曜劇場「ノーサイドゲーム」の主題歌を担当させて頂きました。 「馬と鹿」という曲です。 大泉洋さん演じる君嶋が、逆境の中をひとつひとつ進んでいく様をどうにか音楽にできないかと探っていった末にこの曲ができました。 素敵なドラマとご一緒できて嬉しいです。 どうかよろしくお願いします。 君嶋は出世レースの先頭に立ち幹部候補とまで言われていたが、上司が主導する企業買収に異を唱えた結果、左遷人事で府中工場に総務部長として赴任することに。 意に染まない異動だが、これもサラリーマンの宿命。 やるせない思いで赴任先の工場に赴いたところ、トキワ自動車ラグビーチーム「アストロズ」のゼネラルマネージャーを兼務するよう命じられる。 かつては強豪チームだったアストロズだが、いまは成績不振にあえいでいた。 こうして知識も経験もない君嶋にチーム再建という重荷が課せられた。 低迷するラグビー部と出世の道を絶たれた君嶋の、再起をかけた戦いが始まる。 となっています。 タイトルの説明でもしましたが、「馬」の出世コースまっしぐらの時期もありましたが、左遷されてからは出世コースから外れてしまい、無理難題を突きつけられてしまいます。 出世をするためには周りを蹴落とさないといけないのですが、弱小ラグビーチームを強くするためには周りとの意思の疎通など様々な協調が必要になってきます。 チームが一丸となることから「鹿」の幸福や安寧の大切さを知っていくこととなります。 ドラマ「ノーサイドゲーム」の最終回では米津玄師さんの「馬と鹿」のジャケットイラストが登場したことでも話題となりました。 米津玄師「馬と鹿」のMVは何を意味するのか?? このMVで印象に残ったのは創作ダンスと振り子のように揺れる炎です。 創作ダンスは内に秘めたる感情をダンスとして表すものですが、この曲の中では一人一人が寄り添っていくことの大事さと、それぞれが何かと戦って傷つきながらも立ち上がる力強さを感じました。 儀式的な感じもする聖杯や振り子のように揺れる炎は、自分は他の誰でもない自分自身ということや、誰かに依存してしまっている人間の2面性を表現しているのかもしれません。 そして、その中心にいる米津玄師さんは「苦悩や葛藤にもがきながらも歩き進んでいく」という周りの人たちから解き放たれた唯一無二の象徴なのでしょう。 米津玄師「馬と鹿」の歌詞の意味は?? それでは米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味を、 ドラマ「ノーサイドゲーム」視点で意味を考察していきたいと思います。 歪んで傷だらけの春 麻酔も打たずに歩いた 体の奥底で響く 生き足りないと強く 春といえば出会いの季節でもあり、何かが始まる季節ですが、この物語の主人公にとってはそうじゃないようです。 心に傷を負っていて逆境の中にいることがわかります。 麻酔とは本来痛みを和らげるものとして使われますが、あえて使わないことでその痛みに対して逃げないということを表現しているのだと受け取りました。 痛みを感じることで体のそこからもっと生きていたいと感じるためなのかもしれません。 ドラマがラグビーの内容ということで選手のことで当てはめてみると、「逆境の中にいても自分たちの努力が報われる」ということで勝利に対して強い執念を感じます。 また味わうさ 噛み終えたガムの味 冷めきれないままの心で ひとつひとつなくした果てに ようやく残ったもの 味がないガムは普通の人であれば吐き出してしまいますよね。 噛み終えたガムは挫折のことの比喩表現であり、主人公にとって大事なものでもあります。 挫折を乗り越えた先に待っているのは自分が今までした努力の証です。 諦めきれない=冷めきれないままの心 ドラマの中ではラグビーが選手一人一人にとって大事なものであり、大泉洋さん演じる監督にとっては今までの人生とは一転、左遷されてしまったことで一から作り上げていくといったもののこと。 そこから生まれた絆というのが何度も挫折した後に残った大事なものではないでしょうか。 これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった 呼べよ 花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい ドラマではラグビーチームのアストロズの再建を目的としています。 選手や監督一人一人が何かしらの犠牲を払ってまでやり続けたいと思った気持ちは『愛』そのものです。 花の名前はただ一つだけという言葉から、誰一人同じ人はいない。 それぞれに良さがあって他に代わりはいないという表現。 『鼻先が触れる 呼吸が止まる』は選手たちがスクラムを組んでいる状態です。 ラグビー日本代表のシンボルとなる桜の花もこの部分の歌詞とかけているのかもしれません。 日本を背負って勝利を掴み取るという強い意思も感じ取ることができます。 疲れたその目で何を言う 傷跡隠して歩いた そのくせ影をばら撒いた 気づいて欲しかった 満身創痍の主人公は誰にも自分の気持ちを伝えることができませんでした。 自分と同じような気持ちを知ってほしいということを「影をばらまいた」という表現で表していますが、決して前向きな気持ちではなく、やらなければいけないという使命感にかられた精神状態が伺えます。 周りからの後押しを待っているのかもしれません。 まだ歩けるか 噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上 はやる胸に 尋ねる言葉 終わるにはまだ早いだろう 倒れ挫折を味わったとしても同じような気持ちの仲間と出会うことで、 「まだやれる!倒れるにはまだ早い!」と自分自身を鼓舞しています。 自分一人であれば限界を迎えてやめてしまっているかもしれませんが、仲間同士で支え合うことで限界を越えることができているのかもしれません。 誰も悲しまぬように微笑むことが 上手くできなかった 一つ ただ一つでいい 守れるだけで それでよかったのに あまりにくだらない 願いが消えない 誰にも奪えない魂 みんなが幸せならそれが一番いいですよね。 周りに合わせれば自分が嫌だと思っていても丸く収まることは多々あります。 今までは自分にとって大事な気持ちを守れればそれで良かったのに、 今では 自分を押し殺してまでその気持ちにはなれなくて、 お互いに高めあいたいという気持ちが強くなってしまった。 このみんなで勝利を勝ち取りたいという執念の願いを果たしたいという誰にも負けない気持ちが、 「誰にも奪えない魂」として出てきているのでしょう。 何に例えよう 君と僕を 踵に残る似た傷を 晴れ間を結えばまだ続く 行こう花も咲かないうちに ここで出てくる「君」とはラグビーのことでもありチームメイトのことでもあると思います。 練習で同じ傷を作ってきたかけがえのない仲間と共に、 未来のことがわからなくてもチームメイトと一緒に大好きなラグビーをやりたいと心からの願いだと思います。 米津玄師「馬と鹿」の歌詞の意味は??ドラマ「ノーサイド・ゲーム」のタイアップ曲 まとめ いかがだったでしょうか?? 米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味とドラマ「ノーサイドゲーム」などについてお伝えしていきました。 米津玄師さんの逆境と戦う意思の強さが歌詞にもあらわれていました。 いつも米津玄師さんの世界観には驚かされます。 もし自分にも同じように逆境に立ち向かわないといけない時はこの歌詞をみて勇気付けられることがあるかもしれませんね。

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【米津玄師/馬と鹿】歌詞の意味を徹底解釈!進む逆境の先には何が待っている!?

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元はハチというボカロPとして活動していましたが、その後本名の「米津玄師」として活動するようになります。 今回紹介するのは米津玄師さんの「馬と鹿」という曲です。 このタイトルに込められた意味と歌詞の意味、またMVにはどういった意味があるのかを考察していきます。 米津玄師「馬と鹿」ってどんな曲?? 本気の勝負に、手に汗握り、胸熱くなりました!! — REISSUE RECORDS reissuerecords 「馬と鹿」は米津玄師さんが2019年9月11日に発表した楽曲です。 タイトルの意味は動物の馬と鹿の文字を組み合わせると「馬鹿」という言葉になります。 馬鹿には「 愚かなこと、利口でない、社会の常識に欠けている」という意味があります。 そしてそれぞれの文字にも注目してみます。 「馬」は昔移動の手段であり、馬は高貴な人たちが使っていました。 「鹿」は仏教の中で「ハーモニー、幸福、平和」という意味があります。 TBS日曜劇場「ノーサイドゲーム」の主題歌を担当させて頂きました。 「馬と鹿」という曲です。 大泉洋さん演じる君嶋が、逆境の中をひとつひとつ進んでいく様をどうにか音楽にできないかと探っていった末にこの曲ができました。 素敵なドラマとご一緒できて嬉しいです。 どうかよろしくお願いします。 君嶋は出世レースの先頭に立ち幹部候補とまで言われていたが、上司が主導する企業買収に異を唱えた結果、左遷人事で府中工場に総務部長として赴任することに。 意に染まない異動だが、これもサラリーマンの宿命。 やるせない思いで赴任先の工場に赴いたところ、トキワ自動車ラグビーチーム「アストロズ」のゼネラルマネージャーを兼務するよう命じられる。 かつては強豪チームだったアストロズだが、いまは成績不振にあえいでいた。 こうして知識も経験もない君嶋にチーム再建という重荷が課せられた。 低迷するラグビー部と出世の道を絶たれた君嶋の、再起をかけた戦いが始まる。 となっています。 タイトルの説明でもしましたが、「馬」の出世コースまっしぐらの時期もありましたが、左遷されてからは出世コースから外れてしまい、無理難題を突きつけられてしまいます。 出世をするためには周りを蹴落とさないといけないのですが、弱小ラグビーチームを強くするためには周りとの意思の疎通など様々な協調が必要になってきます。 チームが一丸となることから「鹿」の幸福や安寧の大切さを知っていくこととなります。 ドラマ「ノーサイドゲーム」の最終回では米津玄師さんの「馬と鹿」のジャケットイラストが登場したことでも話題となりました。 米津玄師「馬と鹿」のMVは何を意味するのか?? このMVで印象に残ったのは創作ダンスと振り子のように揺れる炎です。 創作ダンスは内に秘めたる感情をダンスとして表すものですが、この曲の中では一人一人が寄り添っていくことの大事さと、それぞれが何かと戦って傷つきながらも立ち上がる力強さを感じました。 儀式的な感じもする聖杯や振り子のように揺れる炎は、自分は他の誰でもない自分自身ということや、誰かに依存してしまっている人間の2面性を表現しているのかもしれません。 そして、その中心にいる米津玄師さんは「苦悩や葛藤にもがきながらも歩き進んでいく」という周りの人たちから解き放たれた唯一無二の象徴なのでしょう。 米津玄師「馬と鹿」の歌詞の意味は?? それでは米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味を、 ドラマ「ノーサイドゲーム」視点で意味を考察していきたいと思います。 歪んで傷だらけの春 麻酔も打たずに歩いた 体の奥底で響く 生き足りないと強く 春といえば出会いの季節でもあり、何かが始まる季節ですが、この物語の主人公にとってはそうじゃないようです。 心に傷を負っていて逆境の中にいることがわかります。 麻酔とは本来痛みを和らげるものとして使われますが、あえて使わないことでその痛みに対して逃げないということを表現しているのだと受け取りました。 痛みを感じることで体のそこからもっと生きていたいと感じるためなのかもしれません。 ドラマがラグビーの内容ということで選手のことで当てはめてみると、「逆境の中にいても自分たちの努力が報われる」ということで勝利に対して強い執念を感じます。 また味わうさ 噛み終えたガムの味 冷めきれないままの心で ひとつひとつなくした果てに ようやく残ったもの 味がないガムは普通の人であれば吐き出してしまいますよね。 噛み終えたガムは挫折のことの比喩表現であり、主人公にとって大事なものでもあります。 挫折を乗り越えた先に待っているのは自分が今までした努力の証です。 諦めきれない=冷めきれないままの心 ドラマの中ではラグビーが選手一人一人にとって大事なものであり、大泉洋さん演じる監督にとっては今までの人生とは一転、左遷されてしまったことで一から作り上げていくといったもののこと。 そこから生まれた絆というのが何度も挫折した後に残った大事なものではないでしょうか。 これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった 呼べよ 花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい ドラマではラグビーチームのアストロズの再建を目的としています。 選手や監督一人一人が何かしらの犠牲を払ってまでやり続けたいと思った気持ちは『愛』そのものです。 花の名前はただ一つだけという言葉から、誰一人同じ人はいない。 それぞれに良さがあって他に代わりはいないという表現。 『鼻先が触れる 呼吸が止まる』は選手たちがスクラムを組んでいる状態です。 ラグビー日本代表のシンボルとなる桜の花もこの部分の歌詞とかけているのかもしれません。 日本を背負って勝利を掴み取るという強い意思も感じ取ることができます。 疲れたその目で何を言う 傷跡隠して歩いた そのくせ影をばら撒いた 気づいて欲しかった 満身創痍の主人公は誰にも自分の気持ちを伝えることができませんでした。 自分と同じような気持ちを知ってほしいということを「影をばらまいた」という表現で表していますが、決して前向きな気持ちではなく、やらなければいけないという使命感にかられた精神状態が伺えます。 周りからの後押しを待っているのかもしれません。 まだ歩けるか 噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上 はやる胸に 尋ねる言葉 終わるにはまだ早いだろう 倒れ挫折を味わったとしても同じような気持ちの仲間と出会うことで、 「まだやれる!倒れるにはまだ早い!」と自分自身を鼓舞しています。 自分一人であれば限界を迎えてやめてしまっているかもしれませんが、仲間同士で支え合うことで限界を越えることができているのかもしれません。 誰も悲しまぬように微笑むことが 上手くできなかった 一つ ただ一つでいい 守れるだけで それでよかったのに あまりにくだらない 願いが消えない 誰にも奪えない魂 みんなが幸せならそれが一番いいですよね。 周りに合わせれば自分が嫌だと思っていても丸く収まることは多々あります。 今までは自分にとって大事な気持ちを守れればそれで良かったのに、 今では 自分を押し殺してまでその気持ちにはなれなくて、 お互いに高めあいたいという気持ちが強くなってしまった。 このみんなで勝利を勝ち取りたいという執念の願いを果たしたいという誰にも負けない気持ちが、 「誰にも奪えない魂」として出てきているのでしょう。 何に例えよう 君と僕を 踵に残る似た傷を 晴れ間を結えばまだ続く 行こう花も咲かないうちに ここで出てくる「君」とはラグビーのことでもありチームメイトのことでもあると思います。 練習で同じ傷を作ってきたかけがえのない仲間と共に、 未来のことがわからなくてもチームメイトと一緒に大好きなラグビーをやりたいと心からの願いだと思います。 米津玄師「馬と鹿」の歌詞の意味は??ドラマ「ノーサイド・ゲーム」のタイアップ曲 まとめ いかがだったでしょうか?? 米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味とドラマ「ノーサイドゲーム」などについてお伝えしていきました。 米津玄師さんの逆境と戦う意思の強さが歌詞にもあらわれていました。 いつも米津玄師さんの世界観には驚かされます。 もし自分にも同じように逆境に立ち向かわないといけない時はこの歌詞をみて勇気付けられることがあるかもしれませんね。

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馬と鹿 米津玄師 歌詞の意味は?PVもすごい!

馬と鹿意味

バカには、いろいろな意味があり、とても使い勝手の良い言葉です。 本来は相手を罵る言葉ですが、親しみを込めて、愛情を込めて「もう、バカなんだから」なんて使い方もできます。 馬鹿の意味と用例 1・「愚かなこと」「愚かな人」「無知」「無知な人」 : あいつは「バカ」だ 2・「夢中になるあまり、社会的な常識に疎いこと(人)」: 役者バカ・親バカ 3・「つまらないこと(人)」「こと(人)」: 「バカ」なことをするな 4・「程度が並外れていること」「度がすぎること」 : バカ正直・バカ騒ぎ 5・「用をなさない」「機能しないさま」 : パンツのゴムが「バカ」になって下がる なぜ馬と鹿でバカなのか 「バカ」に「馬鹿」という漢字をあてた由縁は、 「中国の故事による」という説がもっとも有力です。 その時、周りにいた家臣たちは、趙高を恐れて、誰一人その間違いを指摘しませんでした。 』 この故事が日本に伝わり、 権勢にへつらい真実を言わない(言えない)ような「バカ」に、「馬鹿」という漢字をあてたという説です。 「馬」と「鹿」漢字の本来の意味とは関係なく、故事の内容から「馬鹿」になったという説です。 「バカ」に「馬鹿」という漢字があてられた由縁には、 「単に、音に合った漢字をあてた」という説もあります。 中国の故事が日本に伝わる以前に梵語が日本に伝わっていて、「バカ」の「当て字」が「馬鹿」だったという説です。 漢字本来の意味に関係なく、日本語「バカ」の音に合った漢字「馬」と「鹿」をあてたという説です。 中国語の漢字本来の意味に関係なく、音に合った漢字をあてた「当て字」には、「矢張り(やはり)」「床しい(ゆかしい)」などがあります。 神様に仕える馬と鹿 神様は人間の世界にやってくる時、馬に乗ってやってきます。 天照大御神(あまてらすおおかみ)の使者である天迦久神(あめのかくのかみ)は「鹿の神」です。 馬も鹿も神様と深いかかわりのある神聖な生き物です。 当て字とはいえ「バカ」は「馬鹿」です。 むやみに「バカ」「バカ」言ってると、バチが当たりそうなので、むやみに「バカ」と言ってはいけません。 馬と神様 馬には、神馬(しんめ・しんば・かみうま)と呼ばれる特別な馬がいます。 神馬とは、神が人間の世界にやって来るときの乗り物で、神聖視された「馬」のことです。 伊勢神宮には、宮内庁から贈られた「神馬」がいます。 「神馬」はにいます。 神馬は、毎月1日・11日・21日の8時頃に「正宮 皇大神宮」にお参りしています。 鹿と神様 茨城県鹿嶋市にある「鹿島神宮」の御祭神は「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」は、天照大御神の命を受けて、出雲の国に天降り、大国主命(おおくにぬしのみこと)と話し合い国譲りの交渉を成就(じょうじゅ)します。 このとき、「武甕槌大神」のところに来た「天照大神」の使者 「天迦久神(あめのかくのかみ)」は、「鹿の神霊」とされています。 鹿島神宮では鹿を神使(しんし)として「神鹿(しんろく)」と呼んでいます。 現在、鹿島神宮の「鹿園」には20頭ほどの鹿が「神様のつかい」として大切に飼われています。 奈良県奈良市にあるは「神の使い」と言われています。 奈良公園の一角にある春日大社は、今からおよそ1300年前、鹿島神宮から「武甕槌大神」を神山御蓋山(三笠山・みかさやま)山頂、浮雲峰(うきぐものみね)にお迎えしました。 このときに、「武甕槌大神」が白い鹿に乗って、鹿島から奈良にやって来たという言い伝えがあり、奈良公園にいる鹿は「神の使い」と言われています。 まとめ バカは「馬鹿」と書きます。 バカに「馬」と「鹿」という漢字をあてて「馬鹿」とした説には、諸説ありますが、もっともらしいのは「中国の故事」による説と、「単に音に合わせて漢字をあてた」という2つの説です。 「バカ」の語源は梵語(サンスクリット語)だと分かっているけど、いつごろから「バカ」という日本語が使われていたか、はっきりしません。 「馬鹿」の由縁となっている「中国の故事」がいつ日本に伝わったも、はっきりとしていませんし、「バカ」が「馬鹿」になったのも、いつからかはっきりしません。 つまり、「バカ」を「馬鹿」とした、もっともらしい説はあるものの、本当のところは分らないということです。 個人的には、「単に音に合わせて漢字をあてた」という説がすきです。 おお昔、おバカな若者が、何も考えずにヤンキーみたいなのりで、「夜露死苦(よろしく)」とか「魔苦怒奈流怒(まくどなるど)」とかみたいに「馬鹿(バカ)」って書いたのがはじまりと考えたいです。 とはいえ「馬」も「鹿」も神様に仕える神聖な生き物です。 私が幸せになりきれないのは、やたらと「バカ」「バカ」言っていたからかも知れません。

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